何かを学び始める前に、自分の意図(肚)とつながることの大切さ

最近、万里子の学ぶ意欲がすごい。本を読んでいるところを見たこともなかったし、何かを暗記しようとしている姿もみたことがなかったのに。ここ最近、セミナーには参加するは、資格取得用の本は読むは、スマホを使って勉強しているはで、びっくりw スマホを使って勉強っていうのが今どきな感じw

彼女は今、春に行われるアロマテラピー1級の資格取得にまっしぐらなのである。しかも、並行してクレイソムリエの資格も取得しようとしている。クレイソムリエって、初めて聞いたw

そのおかげもあり、家ではアロマが加湿器でたかれ、私は毎日、風邪予防のためのアロマウォーター(この呼び方で良いのかな?)を持たされ、お風呂には、アロマとクレイが入れられるので、毎日体ポカポカである。ちなみに昨日は、乾燥でひび割れた私の手にクレイを塗ってくれて、そのままお風呂にクレイを溶かして入浴したのであるが、身体が温まるのなんのって。汗を大量にかき、とても気持ちが良かった。

彼女を見ていて感じたのは、やはり好きなことを学ぶと、学ぶ勢いも吸収力も実践力も違うんだな~と。

以前の記事にも書いたが、私はセミナージプシーだったころがある。以前の記事は、こちら。

そのころは、好きなことを学ぶというよりは、何か自分の欠けているところがあるから学んでいた感じである。もちろん、その時の体験があるから今の自分があるし、必要な経験だったと感じているし、その学びから、そのジャンルが好きになり、深めるように今でも学んでいることがある。

何が言いたいかというと、何かを学ぼうとするときに、それを学ぼうとする位置というか、起点というか、意図というか、その精度を高く持つことが大切なことなのではないかと。私がセミナージプシーだったころのように、恐れから学ぶのか?それとも、喜びから学ぶのか?別に、恐れから学ぶことが悪いと言っているのではない。私のように必要な経験なのかもしれない。

ただ私の経験から、もし恐れから学んでいたとすると、そろそろ気づいた方が良いのではないか?とも感じる。まあ、私は38年かかりましたけどねw

何かを学んでいると自分が偉くなった感じがすることもある。学んで知識をいれることで、自分のかけている部分が補われている感じもする。学んでいるんだと自分を正当化もできる。これは、すべて私の深いところで起こっていたことです。

ちなみに、万里子はただやりたいからやっている、と私は感じている。実はこれだと思うんだよね。純粋な意図って。理由がない。理屈じゃない。ただやりたい。以上みたいなw

今でも、学ぶことは私はとても大切だと感じている。ただ、学ぼうとしていることは、どのような意図から学ぼうとしているのか?(まあ、この意図とつながるのがなかなか難しいのだが)そして、本当に学びたいことなのか?その観点がとても大切なのではないかと、あらためて感じました。