「頼まれごとは、試されごと」とはYESと返事することではない

私もこれまで、たくさんの学びをしてきた。そのプロセスの中で、さまざまな団体に属し、教えを請い、学び、実践してきた。その時の経験から気づきを一つ。

よく「頼まれごとは、試されごと」という教えを耳にする機会が多く、ある団体の風習?では、誰かから何かを頼まれたら「はいか、YESか」みたいな雰囲気を持っている団体もあった。別にこれが悪いということを伝えるために、この記事を書いているのではない。

私もその団体に属しているときは、この教えは正しいと認識し、実践していた。なので、すべての頼まれごとにYESと答えていた。ただ、今振り返ってみると、少しニュアンスが違うのではないかと、今は感じている。何が言いたいかというと、頼まれごと=YESと返事することではないのでは?ということ。

今でも私は、「頼まれごとは、試されごと」だと信じている。ただ、YESと返事することではないと。言葉通りに、誰かに何かを頼まれたときは、自分の内側が試されているということなのだと私は信じている。

誰かに何かを頼まれたときは、自分の在り方が試されているのではないか?。それは、YESと言うことが善で、NOと言うことが悪ということではないと。別に、YESと言おうが、NOと言おうがどっちでもいい。ただ、その内側がどうなっているかが試されているだけだと。

私は、誰かに何かを頼まれるとき、少なからず内側が反応する。頼まれると、「その期待に応えなきゃ」とか、「NOと言うとその人に嫌われるのではないか?」とか、「私にはできない」とか、「失敗したらどうするんだよ~」とか、いろいろ。これが、「試されている」ということなんではないかと私は思うのです。

まあもちろん、その頼んできた人との関係性も絡んできていると理解しているが、その関係性も含めて、試されていると。私は何に反応して、何を恐れているのか試されている。

そのうえで、自分が自分自身とつながり、自分らしい決断をしていくことが試されていると。

自分らしく決断できないと、安請け合いをしてしまったり、自分が疲れたり、後悔してしまうことにつながるのではないか。まあ、その経験が必要なこともあるんだけどね。

だから、誰かに何かを頼まれる、つまりリクエストされたときは、自分の内側を観る。素直にYESと言いたいのであれば言えばいいし、NOであったら、NOで構わないと思う。ただ、それは、自分に正直に応えているのか?ということがテーマとして試されているのではないか?と私は思うわけです。