何度も観たくなる映画「モアナ」・自分とそっくりマウイ編

最近、我が家は、休みになるとよく「モアナ」が流れている。1歳5か月の娘が音楽が大好きなこともあり、好んで流しているのだ。

私は映画が大好きで、楽しみとして観ているが、たまに何度も観たくなる映画と出会う。それは、何かが気になっているからだと理解し、何度も観るようにしている。

最近の一番気になる映画で、何度も観返しているのが、この「モアナ」。友人のススメで観たのがきっかけだが、たぶん10回以上観ていると思うw

モアナをススメられたタイミングと、自分の中のさまざまなタイミングがマッチして、気になって気になってしょうがなく、観てしまっているのだと感じる。

そのモアナの中で、今回は「マウイ」について。

マウイは、半神半人。母親に捨てられたところを神に拾われ、半神半人になり神から釣り針を与えられる。この釣り針を使い、マウイはさまざまな動物に姿を変えられる。母親に捨てられた過去を引きずりつつ、周りの人に認められ愛されるために、人に島を作ったり、ココナッツを与えたり、火を授けたりしてきたのだ。

映画の中で、マウイは、モアナと旅を共にしていくのだが、そのプロセスの中で、過去の記憶や、生きる意図があきらかになっていく。

なぜ、私がマウイに惹かれるかというと、これ、私の中にもあるからw

過去の記憶や、記憶から自分を守るために作ってきた鎧、そしてそんな作りこんだ自分でどうやって世界と適合してきたのか。それが正しいと信じて疑わず、それが自分だと思い込んで生きてきた。

半分神であることや、釣り針で姿を変えられること。自分の肩書や能力が自分のすべてだった。だから、必死にスキルや能力を磨き、肩書にすがるように生きてきた。これ、オレやんっ!www

まあ、それが悪かったわけでなく、必要な経験だったと。この経験のおかげで、たくさんの出会いや、身に着けたスキルもある。

映画の終盤で、印象的なマウイの言葉がある。この時、マウイの能力のすべてである釣り針が壊れてしまった。モアナに力を貸したため壊れてしまったと感じたモアナは、マウイに申し訳なさを伝える。その時にマウイは、

自分にそっくりマウイ

釣り針があってもなくても、俺はマウイだ

と伝えるのだ。

かっこいい~w

そう、その人を構成していると信じている、肩書や能力、社会的に見えるものは、すべて結果として外側についたもの。それが自分だと信じて生きてきたし、それに合わせて生きるのがすべてだと。だけど、それは本当に自分なのか?

そんなことを、マウイから感じさせてもらった。