私と高麗町

小学校から住んでいる鹿児島市高麗町。高校を卒業するまでの12年間、私にとっては思い出深い土地である。

前回の記事でも記載したが、高麗町のお店の目の前に引っ越してきたのは、小学校入学1週間後。この土地は、創業時の建物を作りかえるときに、臨時のお店として使っていた場所でもある。前回の記事は、こちら。

幼稚園の頃は、歩いて母方の祖父母の家まで歩いて帰り、母が高麗町での仕事が終わったら迎えに来るという生活だったように記憶している。それでも時間があるときは、高麗町のお店に遊びに行っていた。

下堂園創業のお店 高麗町お茶の下堂薗

幼稚園の頃の私は、この高麗町が遊び場兼仕事場w 仕事場とは、お店の手伝いをすると祖母が100円くれるのだ。お茶の袋詰めをすると、祖母が100円をくれる。その100円を握りしめ2軒隣にあった、駄菓子屋さんに駆け込む。そして、しばらく駄菓子屋で至福のひと時を過ごすというのが、私の最高の楽しみだった。ちなみに、当時の100円って、いろいろ変えた。一番安いリンゴやコーラのアイスクリームは30円、5円チョコがあり、ガムは10円なので、100円で十分楽しめるほど、お菓子が買えた。今では、この最高の思い出の駄菓子屋はもうない。

高麗町のお店で働いている母とお店の方々

また、当時の高麗町のお店は、完全に遊び場。冷蔵庫は、ジャングルジムのように棚が組んであるので、登り放題w 茶袋は子供一人がすっぽり入るサイズで、身を隠すのに最適。何よりお店の人がとにかく構ってくれたのが最高にうれしかったのを記憶している。まあ、今振り返ると、両親とも働いていたので寂しくて、遊んでくれたのがうれしかったのだと思う。

高麗町には、友達もいた。高麗町のお店の、向かい3軒左となりのラーメン屋「気安」のジョージくん。ホースを土管につっこんだりして、とにかく遊びまくった。ちなみに、子供の頃の、思い出の味の一つは、「気安」のラーメンである。

私にとって高麗町のメインイベントは、興正寺別院の六月灯。高麗町のお店と興正寺は同じ通り沿い。大人の足で歩いて5分くらいの距離である。ただ、子供の頃の私にするととても遠い場所だったように記憶している。今でも開催されているかは知らないが、当時はかなりの数の露店が出店し、お店から寺の方向を見ると、真っ暗な道にきらきらと光り輝く感じがたまらなく好きだった。

当時は、近くに駄菓子屋、魚屋、八百屋、スーパーなんでもそろっていたが、時代の流れとともに商店の姿は消え、今ではマンションが立ち並び、お店の前は車の抜け道となっていった。