遊戯三昧(ゆげざんまい)との出会い

今はもう、閉店して空っぽの創業の地、高麗町のお店で何かをやろうと企んでるが、何をやるかは決まっていないw

高麗町に関する以前の記事はこちら

縁あって、今回のプロジェクトで出会った石川秀和さんから、この言葉を教えていただいた。

「遊戯三昧」

突然メッセンジャーで連絡があり、このコンセプトはどうかと。

最初の印象は、まったく知らない言葉だったし、「遊」という字がとても気になった。だって、遊んでるように思われたら困るじゃんw、みたいな。そりゃ、私の中の恐れが立ち上がるw

でもよくよくネットで、その言葉の意味を調べてみたり、引用されている方の記事を読んだりして見ると、なかなか、これ、今の自分にしっくりくる。

遊戯三昧は、禅宗の言葉。「遊戯」とは、なにものにもとらわれることなく、思いのままにふるまうこと。「三昧」とは、一つのことに夢中になること。なんだそうな。

遊ぶように生きる

いろいろ調べていくうちに、私的には、こんな風に聞こえてきた。

仕事は仕事、遊びは遊び、プライベートはプライベートみたいな、境界がなくなり、ただ目の前のことに、ただただ没頭しているさまだと。まさに、今を生きている感じが遊戯三昧なのではないかと。

仕事は生活の糧を稼ぐためにしているものだから我慢して頑張らなきゃとか、プライベートは仕事に持ち込むものではなく個人的にひっそりと楽しむとか、そんな境界がなく、ただ一人の人として、自分の目の前に起こることを、粛々と自分の人生だと捉え、ただただ経験したいことを、遊ぶように取り組んでいくさまなのではないかと。

まさに、今の自分の状態にぴったりだと最近感じるようになってきた。

これまでの、こうあるべきと思考して生きてきた自分から、肚の意図から生きる自分へ。外側で起こることは、すべて遊びみたいなもの。すべてを遊びのようにとらえ、子供のように没頭していく。

ただ、コンセプトって、言語化してしまったとたん、それが固定され、それを固持しようとする力が働くので、「遊戯三昧」的な感じで、これからも進んで行こうと思っている。常に意図は移り変わっていくからね。

そんな意図すら肚に手放し、ありのままでいよう。