言葉にならない言葉で、コミュニケーションしている

1歳6か月になる娘が、お風呂に入ると必ずやることがある。それは、湯船に浮かんでいる髪の毛を手で取って、「かみ、かみ」と言って私に見せてくれることだ。

「ありがとう」って私が言うと、うれしそうに笑顔になり、また髪の毛に気づいたら取って教えてくれるのだ。

1歳6か月の娘は、言葉の意味はわかっていない

たぶん、娘は「ありがとう」の意味は分かっていない。「ありがとう」が、どんな意味を持ち、どんな場面で使われるのか、たぶんわかっていない。ただ、伝わっていると思う。私が、1歳6か月にして髪に気づき手で取れることをすごいと思っていること(親バカですが、なにかw)や、喜んでいることが。

最近、娘も少しずつ言葉を発し、少し言葉の意味を理解している感じを受け取る。ただ、多くは言語によるお互いの意思疎通というよりは、違う位置でコミュニケーションしている感じだ。表面的なお互いの言葉の理解というよりは、感覚というか、ニュアンスというか。

大人も言葉じゃないコミュニケーションをしている

別に子供でなくても、我々大人と言われる存在も、多くは言葉じゃないコミュニケーションをしているのではないかと。

たとえば、私にもあったが「疲れた~」と言いながら玄関を開け、家に入る。まあ、だいたい疲れた~と家に帰ると、万里子も疲れた~という話が始まり、あなたは家事がどれだけ大変かわかっていない、となるw まあ、「疲れた~」という一言で、軽い対立が始まるw

だが、実は私のその「疲れた~」の言葉の中にある真実は、自分の外での労を家族に労って欲しいという欲求が隠れているのだ。なのにだ。労って欲しいという願いを素直に出さずに、察してよと言わんばかりに「疲れた~」と言うのだ。なんじゃこりゃw

真実からのコミュニケーション

私もやっていた素直じゃないコミュニケーション

そう、意外と私たちは、そういうコミュニケーションを取っている。しかも、気づかぬうちにw それが、望まぬ事態を招いたり、自分の本意でないと気づいているのに、素直になれなくて、なんだか自分の本当の意図を伝えられずに、いつしか自分自身に対するウソに自分が気づかなくなっていく。

それで、周りは自分のことを理解してくれないと騒ぎはじめるw そして、自分を責めはじめる。なおさら素直になれないから、自分の真実を語れずに、カーブやフォークで伝えようとするが伝わらないので、なおさら周りを責め立てる。 私、やってましたw

理解して欲しいと頑張っている私

自分の真実に気づこう

もうやめよう。自分の真実を伝えよう。自分の怒りや不安、心配、嫉妬に隠された真実に、願いに気づこう。

別に、真実を周りに伝えなくてもいい。ただただ、自分の中の真実に気づこう。本当は、何を望んでいたのか?どうして欲しかったのか。周りにそれを伝えなくても、ただ自分で気づこう。自分の願いは、自分しか気づいてあげられないから。

自分に還ろう。