記憶に振り回される

今こうしてブログを書いている間にも、私の記憶は、私にけしかけてくる。いいの?こんなことやってて?とw

どんな記憶かというと、家業の3代目予定として生まれ、3代目予定として期待されて育ってきたという記憶。

経営者とは、たくさん売上を上げて、たくさん利益を出して、新しい事業をバンバン立ち上げ、それもすべて成功させて、社員さんにたくさんボーナスを払って、社員さんからも、取引先からも、社会からも、家族からも、尊敬され、愛される存在である。

私は、そんな経営者になりたいと、心から願い、頑張ってきた。

もっというと、そんな存在にならないと、私が私でなくなる。だれからも愛されないし、尊敬もされない。

外側で規定された、その枠どおりに生きないと、私の存在価値はない。

だから、ひとりカフェでブログを書いていると、記憶が勝手に話しかけてくる。「いいの?経営者なのに。会社に行って、社員さんに話しかけて、モチベーションを上げて、利益上がるようにしなくて。いいの?」とw

この勝手に話しかけてくるというのが、ミソw気づいたんだよね。これ、勝手に記憶が話してるってw記憶の俺だって。

もちろん、それが悪いわけでも、いけないわけでもない。ただ、そんな経験をしたかったんだねと。

だけど、そろそろいいかなとw

経営者である前に、一人の、一つの命だよね。

その命が経験したいことをしようよ。

外側の枠で、思考で、こうすべきだという世界から、肚につながり、肚から生きようと。

経営者として生きることが良いわけでも悪いわけでもない。何を経験したいのか?何を選択したいのか?

外側で何かをすることよりも、内側の起点を観る。

記憶の人生を生きるのではなく、本質の人生を送る。

記憶を受け取り、気づき続けて、自分に還る。

そんな日々を生きよう。