下堂薗のルーツ

これまで株式会社下堂園を後継するにあたり、下堂薗のルーツをことあるたびに探ってきた。経営理念を作るとき、創業の精神を見直すとき、商品開発のとき。本日の2018年3月1日で創業64年目に入るにあたり、振り返ってみたいと思う。

以前記載したが、下堂園の創業の地は鹿児島市高麗町だが、これはその前の話である。以前の記事はこちら。

下堂薗のルーツは、現在の鹿児島県南さつま市金峰町白川になる。というより、ここからは正確なことではなく、私が親せきやその関係者から聞いたことをまとめることになる。

この白川には、子供の頃よく通っていた。盆と正月には必ず行って、墓参りをしていた。祖父が下堂薗家、祖母が岡家だったので、両家に顔を出して宴会に参加するという感じだ。行きは父が運転していくのだが、帰りは酒を飲むので母が運転していた。この時、父が毎回飲みすぎで、というより飲まされすぎて、途中車を止めて吐いていたのをよく憶えているw で、この時に親せきに宇治野さんと言う方がいて、この宇治野家にも必ず訪れていた。

ちなみに、私が小学校の頃の思い出は、この白川で夏はクワガタ、川海老採り、秋は栗拾いをすることだった。

この宇治野家は、もともと白川地区の領主さんみたいな家だったらしく、昔からこのあたりを取り仕切っていたのだとか。で、白川地区自体は平家の落人部落らしく、宇治野さんは都で御所の警備をする役目だったとか。だから姓に宇治をいただいたらしい。

下堂薗は、白川地区にある祠の下手を守る家だったので、下堂薗を名乗るようになったのだとか。ちなみに、何軒か隣には上堂薗さんがあり、そちらは上手だったそうです。

お隣の阿多地区や白川地区は、職人集団の地区だったらしく、春から夏にかけては、お茶の栽培から加工。秋から冬にかけては、焼酎の杜氏として活躍された方が多かったのだとか。ちなみに、どこの焼酎蔵だったか忘れたが、下堂薗という姓の杜氏さんがいらっしゃったのを記憶している。

下堂薗實がお茶を買い付ける様子

下堂園の創業者である下堂薗實は、お茶の道を志したというわけです。